題目:中国の茶文化と日本の茶道のつながり
指導老師:張萍
学生姓名:鍾洪
学生年級:2008級
提出時間:2011年4月20日
中国の茶文化と日本の茶道のつながり
要旨:
お茶は中国で生まれ、中国で始めて飲用された。茶文化は中国文明の発展につれて、啓蒙、形成、繁栄そして普及してくる。中国の茶文化は日本茶道と同根同源にしていても、現在両国の茶道形式は違っている。
茶道は日中両国の民族の二千年余りの友好文化交流の結晶で、東方文化の特質をもっている。お茶は中国で生まれ、薬用、祭祀、食用、飲用から一種の文化となり、中国の儒、道、仏の各派の思想を取込んで、独特な文化茶道となった。しかし、茶道は日本の独特な気質と風格と結びついて、日本で花開き実を結んだ、優れた生活文化である。茶道は日本の宗教、芸術、哲学、社会、礼儀、倫理と融合して、総合的な文化となり、日本文化の中でとても重要な地位を占めている。茶道について研究することによって、日本との文化理解を促進することに大きな意味を持っていると思う。
1
キーワード:茶 茶文化 茶道 飲茶
本文:
お茶、この古い経済作物、数千年を通る発展、すでに「柴米油塩醬酢茶」の生活の必需品の発展から「琴碁書画歌舞茶」という独特な文化になる。今日に、お茶物質のだけではないことで、詳しくて深いだけでは、物質の農業の経済発展に対して、調和がとれている社会を作り上げていけない取って代わること作用を果たすことができます。
茶道は中国から日本へ伝えられ、日本伝統文化の代表として、中国と日本両国の文化の特徴をもっている。だから、茶道は日中交流の結晶や証明とも言われている。茶叶の発祥地は中国の云南省の奥地で、飲茶の発祥地は中国の四川省であるといわれている。次第に世界各地へ広がっていった。中国には「漢方は二千五百年、茶は四千年」という言葉があるように、茶は漢方薬よりも歴史が古い。古くは伝説的な薬の神である神農が解毒のために茶を使ったことが知られている。花を混ぜ合わせた混ぜ茶、雑茶、調合茶などと呼ばれるものが日常生活に浸透し、中国の「花茶」のルーツとなった。
日本での始めて茶の輸入は漢代に遡る。『古事記』と『奥儀抄』に天皇は僧侶に茶を賜ったことについての記録がある。日本は唐の時代に数多くの留学僧を中国に派遣して、茶道は仏教と一緒に日本へ伝えられた。宋代の栄西禅師がお茶に対する貢献が一番大きく、日本茶の開祖だと言われている、栄西の著した『喫茶養生記』は陸羽の『茶経』とともに、両国において最初の茶に関する本とされて、茶道の基本精神を確立した。
鎌倉時代の禅寺での喫茶の儀礼を起源として、室町時代の村田珠光に始まり、武野
2
紹鴎を経て千利休が大成、侘茶として広まった。鎌倉時代に、日本に禅宗を伝えた荣西や道元によって薬として持ち込まれた摸茶が、禅宗の広まりと共に精神修養的な要素を強めて広がっていった。さらに茶の栽培が普及すると茶を飲む習慣が一般に普及していった。
鎌倉時代の後半から、南北朝、室町時代の中頃にかけて、中国から入ってきた闘茶の茶寄合が、流行しました。この闘茶というのは、何種類かのお茶を飲み、本茶である栂尾産の茶であるかどうかを当てる遊びで、当てた得点によって賞品が与えられました。何回もお茶を飲むので、十服茶、五十服茶などという別名もあるほどです。 闘茶を行なう場所は二階建の会所で、その階上を喫茶亭と呼んでいました。またそこの主人のことを亭主といい、後に茶会の主人のことを亭主と呼ぶのは、ここから始まったのです。室町时代においては、飲んだ水の産地を当てる闘水という遊戯から、闘茶という、飲んだ茶の銘柄を当てる一種の博打が流行した。また、本場中国の茶器「唐物」がもてはやされ、大金を使って蒐集し、これを使用して盛大な茶会を催すことが大名の間で流行した(これを「唐物数寄」と呼ぶ)。これに対して、村田光が茶会での博打や飲酒を禁止し、亭主と客との精神交流を重視する茶会のあり方を説いた。これがわび茶の源流と成っていく。
江戸時代初期までの茶の湯人口は、主に大名・豪商などが中心のごく限られたものであったが、江戸中期に町人階級が経済的勃興するとともに飛躍的に増加した。これらの町人階級を主とする新たな茶の湯参入者を迎え入れたのが、利休後は表千家・裏千家・武者小路千家の三千家を中心とする千家系の流派がある。
中国の茶文化は香りと味が大切で、いわゆる工夫茶はいかに手间をかけてお茶を美味しく饮むかが重要となる。一方日本の茶道は「もてなし」と「しつらい(饰り付
3
け)」の美学だといえる。「亭主」は、まず露地という庭园をととのえ、茶室の中に、挂物や水指・茶碗・釜などを用意して、演出の准备をする。日本の风土が育んできた结晶がそこにある。そして「亭主」と客の间に通う人间的なぬくもりがある。
日本の茶はオリジナリティーに富んでいる。他国文化を基础にしているが、そこから学びつつ、自からの特徴を活かして创造している。「茶道」はお茶を仲立ちとして生活する中での儀礼なので、精神修養の一種の方式だとも思われる。それは茶を入れること、評価すること、そして飲茶することを通して、友情を増進し、審美の心をも修得することは、礼儀作法を学ぶ上で、とても役立つ一種のむつまじくして楽しい儀式となったと思う。茶は人間の生理の必要を満足するほかに、人間の心理的な必要を満足することもできる。茶道によって伝統的文化を発揚して、人文素養を高めて、人脈を調整して、コミュニケーションを促進して、気品の高い文化として、精神享受を高めて、「和」「敬」「清」「寂」などを提唱して、社会気風を浄化する。それに、茶をもって媒介として、国際が交流を促進することができる。日本茶道の「和、敬、清、寂」は「茶禅一味」を表明し、「一期一会」はもてなしの心、人を大切にする気持ちと感謝の意を表す。これらが日本の茶道文化の根本精神である。
結論:
以上、多段に分けて中国の茶文化と日本茶道のつながりについて述べてきたが。奈良時代に遣唐使や留学僧らが日本へ持ち帰って、発展できた。鎌倉時代には、栄西によって、抹茶法が伝えられてから、茶は日本で急速に広がって行く。その時、茶道には形式、道具及び茶室の飾り方など各方面において中国大陸風である。鎌倉時代後期、宋からこの「闘茶」が伝えてくる、南北朝時代の武家や公家などの上流階級の間でたいへん流行する。「闘茶」によって茶道が普及している。時間の移り変わりとともに、日本の
4
茶文化がますます成熟して来た。それは村田珠光、武野紹鴎、千利休三人の茶道名家が数年間修業して、中国文化仏教・儒教・道教の三精神や日本伝統文化を茶文化に融け合ったからこそ、成し遂げたのだと思う。時代の変遷につれて、大陸茶文化の新しい形式は次第に日本茶文化に連動していた。
茶文化の内容は広く、深く、形式は多様多彩である。茶文化の発展史は日中交流の歴史で、日本茶文化の発展は中国大陸茶文化の発展によって、発展してきたといっても過言でもない。私自身の文化素養の不足によって、それに実行や体験の機会が比較的に少ないため、日中の茶文化についての分析が不成熟で浅薄と見える。
なぜかと言うと、今の世界で人間と自然の間「和」が欠け、人間と人間の間「敬」が欠け、人の心に「清」が欠け、人間の生存環境は「寂」が欠けるのだと思う。どこでも騒がしく、だれもほかの人に関心をもっていない、みんなが上っ調子して、心理のバランスを失うことが容易になり、人脈は緊張になる。茶道を大力提唱することを期待する。
参考資料:
[1]周文棠.茶道.浙江大学出版社 2003年3月
[2]王从仁.中国茶文化.上海古籍出版社 2001年6月
[3]郭孟良.中国茶史.山西古籍出版社 2003年1月
[4](唐) 陸羽•茶經
5
[5]吉村亨.日本の茶.淡交社 1984年7月
[6]倉澤.日本茶道文化概論. 淡交社 1992年
6
因篇幅问题不能全部显示,请点此查看更多更全内容